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落語に行ってきました
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子はかすがい
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがってまいりましたが、本日が最終回ってぇことになりますか。
どれぐらいの方がご訪問下さったのか存じませんが、ご愛顧ありがとうございました。
光陰矢のごとし、などと申しますと、うちの相方が必ず、肛門屁の出口、などとつなげてまいりまして。
ギャグ系の漫画家と一緒に暮らすってぇのは、なかなか面白いもんがございまして、我が家では子ども達、勉強なんか出来なくても全然かまわないんですが、「笑い」はとらなきゃあ、いけない。
だらだらしゃべるのもダメ、愚痴もおかしくなくちゃダメ、「それで落ちは?」と言われたら負け。
「勉強したの?」と聞かれるほうがずーっとラクです。
と、娘が作文に書いてたらしく、個人面談の時に担任の先生に「これ、ご覧ください」と言われた時には、どうしようかと思いましたよ。いてててて。

そんな娘ですから、慣用句にめっぽう弱い。
「馬の耳に、といえば」
「真珠」
……ピアスかよ。
「あ、ちがう、猫だ、猫に真珠」
ちがう。ブタだ、ブタ。あんまり私にブタブタ言わせるなって。ってなやりとりが日常です。
「子はかすがい、って知ってるかい?」
「子は、カスがいい? バカな子ほどかわいい、ってこと?」
……はい、こんなおバカな娘が、カスみたいな子どもでもですね、いやバカだからこそ、かわいくってしょうがないわけでして。

「子別れ」という演目がございます。
前編、後編に別れていまして、後編だけだと「子はかすがい」と呼ばれたりしています。
酒におぼれた大工の熊五郎、妻と子どもに愛想をつかされ、しかし今じゃあすっかり改心して真面目に働く。ある日、子どもの亀吉に会い、女所帯の辛さを知り、切ない熊五郎。小遣いをやって、ウナギを食べに行く約束をし、そこで元女房と再会し……。

ええ、私は泣き虫ですからね、フランダースの犬でも、アルプスの少女ハイジでも、決め台詞一つですぐに泣けますから、当然、この「子はかすがい」でも、おんおん泣きます。
寄席に行くのは私の息抜き、大いに笑って免疫力を上げて、幸せいっぱいな異空間なんですが、この「泣く」ってのもまた、健康にはいいそうですね。涙に心の中の悪い成分が入り込んで、体からすっかり出ちまうからでしょうかね。
うちはオヤジが無類の酒好き、酒が入るとそりゃあもうロクデナシでした。
九州育ちでしたから、酒はいると、方言しか出なくなって、何言ってるのかわかんなくなる。で、ほどなく、コミュニケーションギャップが原因で、夫婦喧嘩が始まるわけです。
酒さえ入ってなきゃなかなかのイケメン、無口で不器用だけど優しく、そりゃあもう一生懸命仕事をする腕のいい大工でして、若い頃の写真なんか、飾っておきたいぐらいのもんで。
「酒さえ飲まなきゃねぇ……」
というのが、私の母の口癖で。
だから、どうしたってこの噺、亀吉の立場で聞いちまう。
最後にハッピーエンドっていうのがまた、うれしいじゃありませんか。
このハッピーエンドで、泣かされる。フランダース的涙というよりは、アルプス的涙、犬的涙というよりは、ハイジ的涙ってわけですね。……なんだろう、犬的涙って?

そんなオヤジに育てられて、長じて、酒が入るとやっぱり壊れちゃうタイプの相方と結婚したってのは、なんなんでしょうかねぇ。
うちは、幸い喧嘩はしませんがね。私の方が、もっと壊れちゃうからね、酒が入ると。喧嘩になるわけがないっていう、なんともお恥ずかしい理由なんですがね。
さて、その相方も、つい先日、健康上の理由で禁酒しまして、どうも潮目が変わる時だったような気がします。
カム!もまた然り。落語の噺にからめて、鈴木家の恥をさらしてまいりましたが、お楽しみいただけたでしょうか。

しばらくお休みして、様子を見てまた、ちょこちょこ書いていこうかなと思っております。
最後の決め台詞はもちろん、こうしちゃあいられないや、寄席に行ってまいります。
いつの日か、ご一緒しましょう。では、お後がよろしいようで。
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by u-ko_suzuki | 2008-10-27 17:11
ためし酒
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
月曜日の女・鈴木ゆう子でございます。
飲む打つ買う、が大好きな43歳でございます。
もっとも、最近、買うはもっぱら100円ショップ、打つほうのバッティングセンターにも、あまり通わなくなりました。せいぜい、飲むばかりなんですが、これもめっぽう弱くなりまして、今も昨日のワインと焼酎が残っていて、頭の中がフワフワしっぱなしでございます。

大酒飲みと言われた使用人、彼が五升の酒を飲めるかと言うのが賭になり、主人は飲める、ダンナは飲めないに賭けました。ご主人が負けたら大変だ、しかし、五升は果たして飲めるのか。ちょっと外に出かけていって、戻ってから挑戦し、見事、飲み干すんですが、さて、その秘訣は……。

と、酒を 飲む話をコレだけ書いて、ちょいと失礼しますよ。

・・・・。
・・・・。
・・・・。

はい、どーも。失礼しました。二日酔いでしてね。
・・・・・。
・・・・・・・うぉっ。
・・・・。
・・・・。
うぷ。
・・・・。

まったくもって、申し訳ない。ああ、私も、「ためし酒」に出てくる使用人さんほどの、丈夫な内臓器が欲しいです。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
・・・・。

あのー、今月末でカム!終了なんですか、編集長?
うえっぷ。
ああ、ちょっと、タンマ。内臓器じゃなくて、なんか、器ない?た
・・・・。
・・・・。
・・・・。
・・・・。



はぁ、目が回る。こりゃあ、ダメだ。完全に二日酔い、この調子だと、三日酔い、四日酔いしそうなていたらく。申しわけねぇ、こりゃあ、顔を洗って出直してきます。
こうしちゃあいられねえ、寄席に……いやその前に、もう、大酒かっくらうのを、よせ。
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by u-ko_suzuki | 2008-10-20 08:47
野ざらし
毎度ばかばかしい作文をゴキゲンをうかがいます。鈴木ゆう子と申します。落語が大好きで、大好きで、毎日テレビかパソコンから、落語が流れております。以前は、マメに寄席にも行っていたんですが、何しろここんとこ、半端なく忙しいもんで。

……で、買ってしまいましてね。忙しくて寄席にいけない、私のような人にとって垂涎モノの企画。
であごすてぃーに・じゃぱんの。
そうです、落語百選コレクションです。落語解説とDVDがついて、隔週発売。
だって第一話目が、菊之丞師匠なんだも~ん。そりゃあね、買っちゃうよ790円。
絶対ハズレのない噺家さんというのが私の中にはカッチリあるんですが、師匠なんかはもう、確実ですね。入門編によし、通好みによし。
この先出演されるラインナップは最高なんですよね。ただ、問題は、次号から定期購読するとなると、全部集めるのに一体いくらかかるのかってことで。
次からおよそ1500円の、かけることの50巻。10巻だって一万五千円となりゃ、寄席に五回いけるわなあ、その五倍となりゃあ、ちょっとした海外旅行にだって行けちゃうお値段です。お大臣なコレクションです。

以前、ずっと以前ですがね、うちの小僧が人体模型を組み立てる『アーサーが教える体のふしぎ』、アシェット・コレクションズ・ジャパン製にはまりまして。
最初は頭蓋骨だけのアーサー君が、「ボクを組み立ててね!」というヤツでして。
初手には、歯が。それから、脳みそとか目とか、毎月送られてくるわけですよ。
将来医者になってくれたらお安い投資だと思いまして、欲しがるままに、定期購読しました。初回190円でした。でも、あれ、だんだん上がっていくのよ。結局、いくら突っ込んだんだろう……というのは考えないことにしよう。
もちろん、小僧は「ボクは赤ひげ先生になるよ」などという高尚な志を持つことなく、日がな一日サッカーボールを蹴っています。しゃれこうべアーサー、効果ナシ!

しゃれこうべで真っ先に思い出すのは、「野ざらし」でございましょう。
八五郎が問いただすと、ご隠居が話し始めた顛末は、釣りに出かけてみつけた野ざらししゃれこうべ。丁寧に回向したところ、若い女が礼を言いにきたという結構なお話で、それならおいらも、とばかりに八五郎、なれない釣りにでかける。そして、しゃれこうべを釣り……。

なんとも、のどかな時代であります。しゃれこうべが親しみを持って語られるわけで。
いや、うちのアーサーも、立派なしゃれこうべ、脳みそまで詰まっていますがね。回向したら、金髪碧眼のアーサーがお礼にやってくるかもしれません。
回向、してみるか。
いやいや、それは出来ないです。
だって、アーサーが未だにばらばら死体なのは、小僧のせいなんですもん。
組み立てが簡単だった頃のアーサーはよかったんですが、内臓器に入るころに小僧、すっかり飽きちまいましてね。人の作りは意外と複雑だってんですよ。
もう、頚椎を自分で入れられなかった敗北感がね、アーサーへの愛と友情を確実に目減りさせた。 
仕方なく私が組み立てていたんですが、なんだか毎回何千円も払っているのに、片方の鎖骨、とか、右手の骨、とか、脾臓とか、なんというか整合性のないばらばら死体の、ソレもしょぼいパーツが毎回送られてくるわけで、ものすごーく悲しくなりまして。
結局全身の骨格がそろったところで、とりあえずもう結構と打ち切りました。
筋肉スーツを着て完成だったらしいんですが。
書籍もついていましたし、その内容は充実していたんでしょうが、猫に小判、ブタに真珠、小僧にアーサーでございましたね。賢いお子様には無二の親友だったかもしれないアーサー君ですが、我が家ではもてあまし、今も、押入れに静かに横たわっています。
押入れを開けるたびに小学一年生相当の白骨がある図というのもどうよとは思うんですが、透明ビニール袋に包んで捨てる勇気もまだ持てない。
山村にこっそり捨てて、野ざらしの白骨に、警察が動き出してもいけないし。
大腿骨以降の後半部分は、まだ箱に入ったまんまだし!ちゃんと組み立てて供養したいと、これはいつの日にかの夢なんですが。
でも、アーサーの完成形は、筋肉スーツ着たところだったわけで、剥き身の筋肉が夜中お礼に来られたら、ものすごく怖い。

あの手の継続する通販モノには、気をつけなくちゃならないですね。好きな噺家さんの時だけ、買おうと宣言して、やっぱり落語とビールと何とかは生が一番。こうしちゃいられねぇや、寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-10-13 08:27
茶の湯
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
鈴木ゆう子と申します。何の因果か、落語好き。今日も、ほんの少しの間、戯言と、落語のお話に、お付き合い願います。

一生懸命精魂込めて育ててりゃ、そりゃあもう、どんなものでもきちんと成長するというのは世の習い。精魂込めて、食べていたおまんまだって、ちゃーんと血となり骨となり、肉となり肉となり肉となり。……そう、このメタボなお肉だって、お金、かかってるわけです。投資の結果です。おまんまだけじゃあない、お菓子やお酒や、そりゃうもう一生懸命投資して摂取した結果が、この贅肉。まさしく、贅沢なお肉ですよ、これはね。
この間、きつめのデニムをはいていましたら、こう、腹に、浮き輪状の肉がある。ソレを見て相方、
「お前の着ているのは、そりゃあもう、デニムじゃねぇ。デムニだ」
と言いやがりまして。しかし言いえて妙とはこのことで、確かにね、出ムニッとしてる。
以来我が家では、相方のジーパンがデニム、私のジーパンがデムニと、名称が変わりました。私のデムニは、相方がはくと、ぶかぶかです。
……いったいいつから、こんな変わり果てた姿になっちまったんでしょう。
ウエスト58センチだった頃に買った、勝負下着のガーターベルトが、今では片方の太ももに巻けます。同じ勝負でも、笑いをとるための勝負になっちゃあしょうがねぇ。
けれどもこんな体型になって、ひとつだけいいことがありました。それは、和服が着られるようになったことなんですね。
ええーっと、和服しか着られなくなった、という言い方もできるんですが、そこはポジティブシンキングでね。和服は、ボーンきゅっボーンの、南京豆みたいな体型には今ひとつ合わないように出来てますからね。茶筒みたいな体型こそ、理想的なんです。
デニムは出ムニになりはてても、和服は私を見放さなかった!日本の伝統文化よ、ありがとう。
そして幸か不幸か、私の和ダンスには、母と祖母の投資の結果がひしめいておりまして。売ったら二束三文の、買ったときにはとんでもない金額だったはずの、つまりは贅肉みたいな和服がね、たっぷりある。……私が気に入ってるのは、その中の二、三着というのが、これまた無駄全開という感じで、切ないんですが。
なんだってそんなに着物があるかってぇと、母が茶道の師範なんです。お茶ってのはなんですよ、お茶会のたびにその季節にあった着物だ帯だが必要になって、とんでもなくお金がかかるもんらしいですね。
でも、アタシ、LLと恥じらいもへったくれもなく大書された長じゅばん着付けながら、よくよく考えるんですが……茶道は、侘びさびの世界なワケでしょう? 贅は野暮だ。千利休が、とっかえひっかえ、いい着物を着ていたとは考えにくく、ありゃあていよく呉服屋にだまされてたんじゃねぇのかと、いぶかってるんですがね。

茶の湯、というお話がございます。
根岸の里のご隠居は、使用人の定吉を呼んで暇つぶし。かなりめちゃくちゃな知識で茶の湯をやってみます。しかし見よう見まねも程が過ぎ、お茶は青きな粉、オマケに洗剤までいれちまったからたまンない……。これを周りのものにも振舞っていく、なんとも滑稽なお噺。
同じだますんでも、こんなだまし方なら笑えます。で当人達にとっちゃ笑えないかもしれないなあ、腹、下しますからね。

それで思い出すのは、慣れないお茶会ですよ。まだ私が今の四分の一の年齢で、今の半分ぐらいしか体重がなかった頃、母の師匠のお茶会に連れられてまいりまして。
一応、作法は特訓済みです。それでも、緊張でドキドキ。目の前のお菓子はさっさと食べ終わり、お抹茶が来るのを長々待っておりました。
するとですね、急に、もよおしてきたんですね。
相手は大師匠ですよ、「茶の湯」のご隠居のように変なものを食べさせたわけじゃあないんですが、アタシがまだ子どもだったので準備、悪かったんでしょうね。
ところが、茶器の銘を訊ねる言葉は聞きかじっていても、こんなときにトイレに行きたいという隠語は知らない。
最初はもぞもぞ動いてごまかしますが、それをまわりは怪訝な目で見る。そのうちのっぴきならない事態がやってきて、聞くは一時の恥、漏らすは一生の恥なんて言葉がぐるぐるする。
ご亭主である先生が、茶さじをふいたり、竹の茶せんを片付けながら、にんまり、客を眺めます。やーっとこさ、お茶が、運ばれてくる。
ここからがまた面倒くさいんだ。こちとら江戸っこでぃ、パッときたらグッと飲みゃあいいものを、だらだら年寄りの小便みたいな切れの悪い話や作法が続きやがって、アタシの小便ならシャーッとしてすぐに終わりだよ、ああトイレ行きたいよなどと、優雅なお茶会が地獄の修行気分になって毒づいてます。
……、と、やにわにああ、もうダメだっ
「おひょう、●×#$☆ё!」
なにやら叫んだんですね。人は限界を超えると変な声を出すんですよ。もう、半分おかしくなるんです、何しろ限界ですから。
一人フラフラ立ち上がったのはいいが、今度は足がしびれてて、うまく歩けない。突如茶室に現れたゾンビが一匹、とにかく一滴ももらさないことに細心の注意を払い、極端な内股で、トイレに急ぐのでありました。
もちろん、事なきを得ましたよ。先生も、決して私を責めたりなさいませんでした。でも、思春期真っ盛りのお年頃、これは「死にたい」と思いつめるほど恥ずかしい事件でした。
お稽古の時に箸が転げてもおかしくて、どうにも笑いが止まらず、お茶碗を割ってしまい、母から破門を食らうのは、これからしばらく後のことなんですがね。

最初に「茶の湯」を聞いたときには、そんな甘酸っぱい思い出と共に、大笑いしまして。
作法を聞きかじっているだけに、おかしさ倍増。無理強いでも茶道を仕込んでくれた母に、やっと感謝しましたよ。
ああ、こんなご隠居の茶会だったらまだよかっただろうにと思ったり、厠に走る気持ちだけ、やけに臨場感が走ったり。忘れていた過去の失敗に、落語の中で出会うというのもまた、乙なもんでした。
まあ、だまされたと思って、寄席に行ってみてください。自分に似た人や、エピソードが、ちゃーんと待ってますから。だまされたと思ってったって、高い着物買わされるわけでも、ホントに腹下すわけでもないので、安心ですから。

ああこうしちゃいられねぇや! せっかくですから、和服着ていけば割引にもなる、寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-10-06 11:06
芝浜
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。スズキユウコと申します。
あら。
今、ネットでお買い物をしたもんだから、名前がフリガナモードになっちまってるよ。
何を買ったのかと申しますと、ポッドキャスティング寄席、ニフ亭の、限定手ぬぐい840円也でございます。
実は私、手ぬぐいコレクターでして。
手ぬぐいはいいですねぇ。
軽くて邪魔にならず、すぐに乾くし、大きさも価格も、使い勝手もいい。
涙拭くハンカチにだって、暑さをしのぐ帽子にだって、これからの季節は防寒のスカーフ代わりに、骨折したときには添え木を当てる三角巾代わりにだってなりますよ。だから、必ず一枚持って出ます。手ぬぐいは便利。財布になったり、煙草入れになったり、手紙になったり……おっと、そりゃあ、噺家さんの場合だ。噺家さんの場合は、私以上に手ぬぐいは必需品。おや、何だい、落語家さんは、そんなにしょっちゅう骨折して添え木に当て布を…、ってわけじゃあ、もちろんなくて、この、手ぬぐいと扇子が、唯一の小道具だったんですね。
もっとも、この小道具をもっともらしく見せるために、ひび、骨を折ってらっしゃるんでしょうがね。

以前、寄席に参りましたら、こんな風景を見ました。
前座さんが、高座返し……というんですか、あの座布団をひっくり返して、お名前を書いたメクリを替えて次の演じ手を客席に知らしめる、一連の作業中に、なぜだか手ぬぐいをひょいと出したんですね。
その手ぬぐいが、なんともかわいい桃の柄。百円ショップで売っているものだったんです。ええ、お察しの通り、私も愛用してたんです。緑の地に桃の柄の、派手なヤツです。
ああ、前座さんなんだなあ、と、思いました。
真打さんはもちろんのこと、二つ目さんは寄席には出ませんが落語会なんかでもまず、落ち着いた色味の手ぬぐいを持ってらっしゃいます。
桃柄のそいつだと、小道具としてはまず使えない。たとえば「芝浜」の皮財布が、軽々しい派手な手ぬぐいだったら、勝五郎に芝浜で拾われる前に、誰かがさっさと見つけちまいますからねぇ。
つまり、小道具が小道具足りえない。
100円ショップ謹製ってのも、なんていうか、大金が入った財布にゃ向きません。
両面染めてあるのではなく、片面だけの安い印刷で、洗えども洗えどもごわごわの質感。糸切り歯でちょいと噛み切って鼻緒をすげることも出来ない、色っぽさとも無縁の、四方を中国人の女工さんががっちり丁寧にミシンかけしました、はんかちニシテハ、アマリニモ長方形デス、ニッポン人不思議ネ。という代物です。
それでも、見習いから前座に上がって、楽屋入りして高座返しをする身の上、その前座さんは中国人の女工さん以上に勤勉に修行されておられるのでしょう。今は100円手ぬぐいでも、いつの日か、前座の年季が明けて、二つ目を経て、真打になり、ご自分の名が入った手ぬぐいを作るその日まで、桃柄ちゃん、ガンバレ!とついつい応援してしまいましたよ。「芝浜」なんかを、すっと演じられるような、あるいは「芝浜」に勝るとも劣らない三題噺をさくっと作れるような、そんな真打ちを目指して。

と、先ほどより「芝浜」の演目がちらちらと入り込んでいて、はい、今回は「芝浜」。
何でも、三題噺ってのがありまして、人、場所、物の御題を、客席から頂く。「酔っ払い、芝浜、財布」の単語を織り込んで、あの名作がその場で作られたものだってンですから、すごいです。歴史的な背景はどこぞの粋人かご隠居にお任せして、このストーリー、アタシは、おかみさんにぐっときちゃうんですよね。
酒が大好きな魚屋、勝五郎がおかみさんに促されて、一足早く河岸に出る。と、海の中には皮財布。あら嬉しや、大金が手に入っちまった。と、それを持ち帰って、どんちゃん騒ぎ、酒を飲んで寝てしまう。しかしそれらは、酔った上での幻で、これは大変……。
アタシがぐっとくるのは、勝五郎のおかみさん大事なところなンです。惚れてるんだよねぇ。
もっともこのおかみさん、肝は据わってるわ、素直だわ、賢いわ。女はかくあるべし、そうすれば大酒飲みだってこの通り。いや、男こそかくあるべし。おかみさんに惚れてるヤツに、悪いやつはいないってんだよね。
ああ、芝浜の二人みたいになりたいねぇと常々思っていましたら、天に祈りが通じたか、ある時、我が家の財産が入った皮財布がなくなりまして!

「あんた、知らないかい」
と聞く私。
「なんだ、そんなものは見ていない。お前、おおかた夢でも見たんだろうよ」
と相方。
どこかできいた会話が、何でうちの場合、反対になるかな。
「あのさ、うっかり使って言い出せないとか、そういうのは…」
「なんだお前、オレを疑うのか?」
「いやそういうわけじゃないけど、……またパソコン買ってるし」
「それを疑うっていうんだっ!」
……とまあ、夫婦善哉とは、全く正反対の方向へ。ダメだこりゃ。
んでもって、その財布はある時、冷蔵庫から出てきたりしやがってね。買い物袋から食品を出して、一緒に、てってこてってこ、しまっちゃったんでしょうね。まあ、我が家の財産はたいした大金でもないんで、私家版「芝浜」は冷蔵庫だけに、冷えた落ちで噺が終わるんですが、飲んでもないのに酔っ払ってる自分だけが、ほんのちょっと悪夢な感じ。
大事な亭主に疑いをかけるなんて、アタシは全くヒドイ女だ。せいぜい家事に精出して、粉骨砕身、立派なおかみさんにならなくちゃと反省しました。まだまだ前座気分でいたけれど、すでに結婚15年。水晶婚式も済ませたベテラン主婦の領域なのに、どうにもこうにも、お恥ずかしい。赤面、赤面。

そんな時にも、これ一枚。
手ぬぐいは、困った顔も隠せて便利です。だから、アタシは必ず持ってます、って、そんな通信販売のCMみたいな話じゃなかったですわね。お値段、800円~1500円。
ああ憎い。冷蔵庫から出てきたものが、皮の財布でなく、せめて手ぬぐいの財布だったなら! 熱冷まシートの代わりにだって、使えたものをさ。
自分の失言を悔やみつつ、反省しつつ、どこぞの大臣ではないので辞任はせずに、なーに、三歩歩けば悲しみも怒りも、ぜーんぶ忘れちゃうのが、唯一アタシのいいところでして。

おおっと、こうしゃいられねぇや、皮の財布は冷蔵庫から出してちゃんと握り締め、寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-09-29 16:44
権兵衛だぬき
「権兵衛だぬき」

毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
毎週月曜日、好評(かどうかわからないまま)更新中。
単なる落語好きの繰言、今週もよろしくお付き合いのほど願っておきますが。

息子といつものスーパーに買い物にいきました。
出口付近、ガチャポンの前に正座している大きなお子さんがいましてね、あらまあそんなにも欲しい物があるんだなあ、なりは大きくてもまだまだ子どもなんだねぇとほほえましく思っていましたら、うちの小僧、
「おかあさん、あの子見て。あんなところで正座してるよ」
「これこれ、人を指差すもんじゃないよ」
「これから落語でも始めるのかな」
と申しました。
「ガチャポン客に見立てて落語を語る人はいないと思うよ、息子よ」
と、言いました、私。
っていうか、子どもは普通、落語しないと思う。
っていうか、正座したら落語を連想する、そんな落語ファンの息子に育っていることを、誇りに思います。

さて、その息子のお気に入りは「権兵衛だぬき」。
いたずらたぬきが、独り者の床屋の権兵衛の寝入り際を邪魔します。現代で言うところのピンポンダッシュですな。
とっつかまえて、坊主刈りにし、野に放ってやると翌日またもたぬきはやってきて……。

お話がわかりやすくて、それでいてリズミカル。お子様向けの寄席でもよくかかるそうです。
以前息子の友達がお泊り会にやってきたときにも、この権兵衛たぬきを読み聞かせしたときが一番食いつきがよかったですね。
「ごーんべっ」
「ごーんべっ」
と、狸が尋ねてくるあたりでくすくす笑っておりまして、翌日も床をどんどんと足踏みしちゃあ「ごーんべっ」とやっておりました。ああ、この子達に本物の寄席を見せてやりたいなあと思いましたよ、私なんかが読む絵本ではなくね。

ずいぶん前に、教科書に落語が導入されたってんで、学校で、お母さん達相手の落語講習会がありました。
落語は、耳から聞くからイマジネーションが広がるという教育的効果があります。
さらに、話す訓練の基本、コミュニケーションの基本は、聞く訓練からなのに、聞くことがいい加減になってきている現代、落語の再認識は素敵ね。というような内容だったと記憶しています。いやもう、私ごときの記憶力なんで、あてにはならないが、なんたってそのときに落語の読み聞かせ絵本を買ったぐらいですから、私は立派に教育ママさんだ。感化されやすいだけという話もありますがね。
実際に読み聞かせると「ぐりとぐら」のホットケーキぐらいにしか食いついてこなかった息子が、落語の読み聞かせは、食い物が出てこない噺でも、ずいぶんと楽しみにしていました。
「小僧、何飲む?」
なぁんて日常生活で聞いたときに、
「最後に一杯、お茶が怖い」
なんていわれますと、なかなか通っぽくていいものです。権兵衛だぬきの落ちは、日常生活にはまだまだ使えませんがね。
なんていうんですか、これも息子への英才教育の一つなんでしょうか。才能を考えると、今ひとつ噺家さんには向かないし、芸人さんへの道は厳しく険しいのであまり推奨しないんですが、早いうちから寄席の喜びみたいなのだけは、しっかり教えといてやれるといいなとは思ってます。
息子が将来サラリーマンになって、彼のことですからかなりしょぼいミスをして、ああもうこんちくしょう、大川に身を投げて死んじまおうかと思ったりもする、そんな時。すすーっと寄席の木戸をくぐり、「ああやっぱり人生捨てたもんじゃねぇなあ」って思える場所を確保しておいてやれたなら、そりゃあ財産ってもんですよ。
子ども時代の楽しい記憶がありゃあ、大人になってから少々のことがあったって、へこたれねぇ。海外旅行なんてのは、父ちゃんの稼ぎの都合上、夢のまた夢でも、江戸時代にタイムスリップできるってんだから、豪勢だ。
一緒に楽しくお出かけして、水蜜のついた団子やメイプルシロップのたっぷりかかったホットケーキでも食べて、寄席で神楽見て驚いたり、漫才や落語で笑ってさ。くわーっっっっ。いいねぇ。
……おおっと、こうしちゃいられねぇや。寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-09-22 11:26
愛宕山
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
にわか落語ファンの、落語にまつわるお話をさせていただくこのコーナー。(コーナー、だったの?)秋風の吹き始めた季節、すでに冬枯れの私のお財布を横目で見ながら、書き進めることにいたします。

先日、ひょいと思い立って、東西落語研鑽会という落語会に行ってまいりました。
パソコンの箱の中には、ミクシという井戸端会議所がありましてね、そのコミュニティーっていう、いわば町内掲示板みたいな場所に、いろんな噺家さんの私製ファンクラブっていうか、恋文公開所があるんですよ。
……って、これはそもそもパソコン持ってる人が読んでるものですから、そんな説明しなくてもググッてもらえばいいですか。いや、それ以前に、そんなのパソコン音痴の私以上にご承知のことと。
でまあ、そこで私はお気に入りの師匠方をチェックしたりしているわけでございますが。
そこで発見しちゃったんですよ。当日券もまず手に入らないだろうという豪華メンバー顔合わせの落語会、場所は有楽町、チケット一枚あまってますのでお譲りしますあります、と。
買うよね、そりゃ、買う。
そもそも、定期的に仕事場のある方は、そこを起点に、移動を前提に、すべての予定が組めるんでしょうが、私のように台所の片隅で原稿書いているような家内制手工業従事者は、まずめったに都心には出ない。だからいくらチケットがあまっていようと、毎回「はいはい、私ソレ行きます」とハイエナのように狙っていくわけには行かないのでございますが、ちょうどその日に限って、ちょっとお仕事の口がかかりまして、銀座に出かけることになっていたんですね。
せっかく都心に出るからには、ただ行ったんじゃあつまらねぇ、帰りに寄席でも…とは思っていたので、落語会、願ったり叶ったり。

さて、その日。
小僧が突然、病院に行かなきゃならなくなりまして、私は朝一で学校に連絡帳を届け、その足で病院に出かけ、二科をはしご。小僧を学校に送り届け、家に戻って相方の昼ごはんを作り、自分の稽古事であるお琴の師匠のところに飛び込みました。出来の悪い弟子にたっぶり稽古をつけてくださる師匠、それですっかりもう時間がなくなって、ええいままよ、そのまま銀座に向かう電車に飛び乗りました。……髪はひっつめで、おたまじゃくしのでかいのみたい。顔はすっぴん、オマケに朝、その辺にひっかかってたアロハを羽織ってる。なんだか、ジャバザハットだったかハットザジャバだったかが、そんな怪獣みたいな自分が電車の窓に映っていました。

一仕事終えて、場所は銀座だ、ここで何とかお召しがえなり、メイクするなり、考えようと思っていたのが、場所だけ確認しとこと思ってついたのが、大型電気屋さんの前。空には呼び込みがピーチクパーチク、その道中の陽気なこと……。
ちょっと流すつもりが、なんとも楽しい大型電気屋さんにはまってしまってさあ大変。気がついたら、落語会の会場時間になっていました。

お察しの通り、落語会では「愛宕山」、小米朝師匠で聞きました。
なんとちりとてちんで有名になった一節、「空にはヒバリがピーチクパーチク」。原作ではヒバリがチュンチュンさえずり」だったそうで。それを渡瀬恒彦さん演じる草若師匠が「ひばりはちゅんちゅん、鳴かんやろ」とのことで、変更されたそうですね。そのとき歴史は動いた。NHK、朝ドラ強し。小米朝師匠、そらもう名人ですからうまいのは当然なんですが、そんな話も織り込みながら、あっという間に客を愛宕山に連れて行き、山いきの一連に、混ぜてくれるわけです。
大阪ミナミの一八と茂八、この太鼓持ち二人が仲良くしくじって、京都で働く。けちなダンナに、愛宕山の参拝に連れてこられてぼやいてばかり。やっと山頂、かわらけ投げをして遊ぶが、ここで旦那が小判をまき始めたからたまらない。

上方落語は、やはり上方の噺家さんで聞かないと。朝ドラでは草若師匠も頑張ってましたけど、やはり本物は違うわ。そしてまた、小米朝師匠は、見目も大変いい男なんですね。昔いい男に噛み付かれてから、いい男がどうも苦手な私としては、テレビで拝見する小米朝師匠に今ひとつ興味を持てなかったんです。枕の、パパが国宝というフリもね、今ひとつ好きになれなくて。
でも、ライブは違いました。うまかったー。いい男かどうか、高座だと顔は関係ないんですね。正蔵師匠も高座に上がっていたせいか、二世ネタもなく、いい感じ。
下げを知ってても、最後まで引き込まれ、笑えました。どんでん返しが入るのも、着地がわからない新作も大好きですがね、熟練の技を見せ付けられて、物語の世界に入り込まされちゃうのが、落語の凄いところですよ。
その日は私も気合十分でしたけど、疲れててついうとうとしちゃった日には、目の前に一大パノラマ江戸絵巻が展開されたりすることもあって、これまた至福の居眠りです。私にとっちゃ、どんなアミューズメントより、落語がいちばんです。

ところで、電気屋さんで電気関係には購買意欲をぐっとこらえた私。小判まくほどはないにしてもさ、これがホントの散財だ、さぞや胸がスッとしてるだろう相方のパソコンがまたしても増えてやがるしね。いつの間にか5台になっていた、備品もざくざく増えているなんてことにも目をつぶって、さ。その分、私が地味ぃぃぃぃに暮らしていけば……って、できるかいっ! 
仕事の日銭も入ったことだし、ここは一杯、やらなくて何の江戸っ子。(埼玉育ち)。久しぶりに落語も聞いたんだ。秋の風情もいいもんだ、まだ満月にゃ間があるが、なんの月見で一杯だね。と、なぜか大型電気店で売ってたお酒を買いましてね、意気揚々と家に帰った。帰って、相方と晩酌だ、ってんで。
相方、ただいま帰りましたよ、いやー、楽しい落語会だった、ライブはいいねぇ。いや、ホント、よかった。今度一緒に行こうよ、まあ今日のところはこれだね、ちょいといい酒を、いい酒を、あらら……。
電車だーっっっっ!電車に、おいてきたぁぁぁぁぁ!
こうしちゃあいられねぇや、寄席に、いやその前に、忘れ物お問い合わせに行ってきます。
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by u-ko_suzuki | 2008-09-15 17:51
子ほめ
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
鈴木ゆう子と申します。名前だけでも覚えて帰っていただけたら……てな言葉、寄席の高座でよく耳にする常套句なんですが、ココをぽちっとクリックして下すった方は、ほぼワタクシを鈴木ゆう子と知ってのことだと思いますんで、本当に、ありがたいことだと思います。
名前を覚えてもらうってのは、それだけで半分、ご贔屓になっていただいたようなもんで。
え、何? ずっと前からの長い付き合いだ? ……あいすみませんねぇ。カム!連は、大変に意気のいい連中がそろっておりまして、たいそう楽しく交流を図りながら、これまた楽しく書かせていただいているんでございますけれども、一番大事な読者様と、顔が見えるところでお話できない、ソレがこのパソコンという箱(またはノート)のもどかしさ。
そんな方のために、コメント欄というものがございます。以前からのお知り合いの方は、
「てめぇ、おれを忘れたか」
とでも大書していただければ、若年性脳梗塞を抱えている身上ではございますが、脳みそを絞りあげてでも、
「へぇ、おなつかしや」
というところまで、持ってまいりたいと思います。ただし、
「てめぇ、貸した金返せ」
と言われた場合には、江戸っ子らしくすぱっと忘たままでいることを予めご了承いただきまして。
コメントの際には、ぜひ褒め言葉の一つも添えていただければ、それはお互いの幸せ。いや、これはこれは過分にお褒めくださり、ありがたい。お前様、調度小腹も減っていようかという時分どき、ちょっとそこでご酒でも一杯いかがでございましょう、てなことに……。

……なるから、口の悪さを改めよとご隠居に言われた八五郎。うまく褒めたら、ご酒の一杯もご馳走になれるときいて、ご隠居に教えられたとおり、お愛想をいう。
しかし、「どうみても厄(年=42歳)そこそこ」と若くいうはすが「どう見ても百そこそこ」って、そりゃ金さん銀さんかい、と聞いてるこっちが突っ込みたくなるとんちんかんな褒めっぷり。悪戦苦闘しながらも、なんとか褒め続けていくのだが、ちっとも褒めていないだけに、もうたまらなくおかしくて。
最後は、生まれたての子どもを褒めに行って、これまた、いい褒め具合。最後までずっと笑える、大好きなお話は、ご存知、「子ほめ」でございます。

まあ、褒められていやな気がする人はいない。特にわが子を褒められていやな気はしない。
それは子どもをもってつくづく感じたことでございまして、今、当時いただいたご恩を三倍返しすべく、赤ちゃんを見かけると「あら、かわいい」「まあべっぴんさん」と、お顔を覗かせていただいては、感想を述べることにしているのでございますよ。
先日、役所で順番を待っておりましたらね、二十代のママさんが書類を書いて、私の隣でパパさんがご自分で抱いた赤ちゃんをじーっと見つめていらっしゃる。目のパッチリした、きれいなお子さんだったのでね、
「うわあ、美人さんですねぇ。すごくきれいな赤ちゃんだわ」
と、いつもの調子で申し上げましたところ、そのパパさんが私をじっと見ましてね。
「そうですか! そうですよね、きれいですよね!いや、きれいな顔だって!褒められちゃったなあ、□□ちゃん、美人さんだって!□□ちゃん、いやあ本当に美人さんだなあ」
と、今度は赤ちゃん振り回してでれでれになってます。ママさん、ボールペン放り出して真っ赤になりながら、あわてて私に
「ありがとうございます!」
そして、そのパパさんに向かって、
「やだもう、ちょっと○○君!」
パパさん、まだ○○君でした。ふふふ。
それはそれはいい光景でございましたよ。一般には親バカっていうんでしようがね、いやあいいもの見せてもらった。ご酒をご馳走になるより、いい心持ちでした。ただの一言で、灘の酒よりじーんと身も心もあったまる気持ちにさせられちゃって、私家版「子褒め」の一説でございます。

その子は本当に美人さんでございましたが、時折そうでないお子様の時があります。そんなときには便利な言葉が「まあ元気そう!」「あら、賢そう!」
しかし、まかり間違っても、「男の子ですか?」と聞かないのが礼儀ですよ、八五郎。女の子ですかと聞けば違ったときには「あら、優しそうな顔立ちをしていらっしゃるので女の子かと思いました」といえばいいんですが、男子に間違えられると、元気そうといわれようが、賢こそうといわれようが、親と言うのは腹が立つものなんですから。……と、気持ちはすっかりご隠居さんなワタクシ。
思い出します。
髪の毛が生えてこなくて、毛糸でリボン結びしたり、できるだけピンクのひらひら着せたり、奮闘努力の甲斐もなく、「男の子ですか? いい面構えだわ」とか「うわー、よく太って!」などといわれ続けた相撲部屋候補の我が娘の、切ない赤子時代を思い出して、いまだ腹が立ちます。
………。いけねぇ、腹の虫がおさまらねぇや。
悪気がない八五郎の間抜けな褒め台詞でも聞いて、笑い飛ばしてこないことには。
ああこうしちゃいられねぇや。寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-09-08 09:57
長短
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
鈴木ゆう子と申します。ほんの1000文字程度、お付き合いをいただきます。
1000文字なんて申しましても、ご存知ない方には、そりゃあいったい何文字だいってなもんで。
いや、何文字と聞かれれば、1000文字でございますと、もじもじしながらお答えするわけでございますが。
アナウンサーのトレーニングでは、1秒で5文字だそうですね。大昔、放送劇なんかを手がけたときには、「原稿用紙400文字二枚で三分」が一つの目安でございました。けれども、まあね、そこはそれ、調整なんぞは簡単なんでございますよ。
困ったときには、「………」って、ゴルゴ13みたいにね、しゃべらないで間をとっちまえばいい。効果音なんかフル活用して、時間を稼ぐわけでございますね。
そういや、そんなこと思いついて、実際に小説の中でやっちまった作家先生がいらっしゃいましたねぇ。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
……らちがあかないが、原稿量は稼げます。しかし、調子に乗ってこれ、放送劇でやると、放送事故扱いですね。
そういや、番号の号令ってのもありました。
「番号」
「1」
「2」
「3」
「4」
「5」
「元へ。声が小さいっ!もう一度!」
「はっ。1」
「2」
……って、人物を出せば出すほど、原稿料が稼げるって算段。うまいこと考えましたよね。
ああ、実は物書き家業をやっている身上、一回やってみたかったんだ。これ。長年の夢が叶ったわ。
でも、話は全然先にすすみゃしないわけで。
読んでるほうは「てぇーいっ、まどろっこしいや、そんなのはぱらぱらぱらっとめくって、読んだことにしちまえばいいんだよっ」って、思いそうです。
読んだことにしたって意味はないわけですが、私なんかどうにもせっかちですから、なかなか進まない話はどうも苦手で。
まあ、私の書いたものを読んだからといって、どってことない。いっそ、読んだことにしちまって飛ばしたとしても、まったく問題がないってことが、一番大きな問題なんですがね。

しまった、そんなことを書いていたら、もうそろそろ話は佳境に入ってなきゃいけない頃合。いけねぇ、大切な落語に触れないで、終わっちまうじゃあないですか。
全く、気の長い枕で申し訳ございません。
抱き枕なんかは長いほうがこう、足をぎゅっとね、からめてはさみこんだりなんかして、心地がいいんですが、話の枕とアレばっかりは、うふふ、長すぎちゃっても短すぎちゃっても、いけません。特に殿方のアレは……アレ、たぁ「気」のことでこざいますがね。いや、もう今回、気の長い枕で、本当に。
噺は「長短」。

気の長いゆっくりペースの長さんと、気の短いせっかちな短七は幼馴染。今日も今日とて、長さんのしゃべりをきいて、焦れまくる短七。「けど、お前さんとあたしは、どーっか気が合う」と長さんに言われるまでもなく、短七はイライラしながらも長さんが大好きだ。そんな長さんの助言に、短七は……。

あらすじはいつも簡単すぎるほど簡単、せっかち短七モードで描ききると、こんな感じになります。きっちり落ちまで書いちまったら、つまんない。まあ、たいていの場合、「教えないほうがよかった」って気分ですわね。
じゃあココから何か別の話がくるかってぇと、私の性格はめいっぱい短七モードですから、ってやんでぃ、こちとら気がみじけぇんだ、文字が1000文字を越えたら、おしまいでぃ!

……しまった、この時間切れの結び大作戦は、「宮戸川」で使おうと思ってたんですが、もう出しちまった。短気は損気だねぇ。
まあ、何年後か、もう忘れられた頃に使えばいいか。あらら、今度は俄然、気の長い話になったもんで。
「長短」
いいですね。しみじみ、いいですよ。これはね、回数重ねるごとに、それぞれの噺家さんのしぐさのうまさやキャラクターの作り方がどんどん染みて来て、長短がかかると「やった!」と小さくガッツポーズですよ。
ああ、こうしちゃいられねぇや。寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-09-01 08:34
たがや
毎度ばかばかしい作文でゴキゲンをうかがいます。
鈴木ゆう子でございます。なんでもない、ただの落語好き、通というにはまだまだ宿題がたっぷり残っておりまして。大人になったら宿題はなくなるものだと思ってた、と歌ったのはユーミンでしたか。どちらかと言うと、落語よりユーミンに詳しいかもしれない、1960年代生まれでございます。
そんなんが、寄席通いの趣味をただただお話したくて、こんな作文を書いてやがるんですから、全くもって面目ない。
落語通の方はどうかひとつ、前座を眺めるお気持ちで、お目汚しをご容赦ください。精進してまいりますので、今後ともご贔屓に。

さて、夏休み最後の土曜日、全国的に雨が降ってます。
今日は有名な大曲の花火大会ですが、へそ曲がりな私は大曲には行かない。
からっと晴れていたら、今日はこの夏を締めくくる、調布の花火大会に行くつもりでした。ヘソが曲がっているというよりは、経済的な事情ですね。
地元のお祭りも、近所では阿波踊りも、ちっと足を伸ばすと盆踊りも、なんだか逝く夏を惜しむかのようにイベント目白押し。
でもやっぱり、私にとっちゃ、夏は花火ですよ。
夏の始め、私は手帳に、都内近郊の花火大会をぎっしり書き込みます。で、行ける限り行く。なんていうんでしょうかね、あの一瞬のどーん、ぱーん、で、はらはらはらっと消えていく、あの潔さがいいんですね。

橋の上 たまやたまやの声ばかり
なぜに鍵屋といわぬじょうなし

なんてぇ江戸川柳を枕で聞いて、うまいッ!と寄席で膝をたたいたのが、たしか、「たがや」の落語だったかと記憶しています。浅学にして、花火の出てくる話は「たがや」ぐらいしか思い浮かびませんので、今回は「たがや」のご紹介。

場所は両国の橋の上。
折りしも、川開きの花火がぱーんと上がる頃、馬に乗った殿様の一行が満員の橋の上をずいずいと無理やり花火見物で進んでいく。
途中でお殿様と行きかうのが、桶を作る職人、たがや。そのとき起こったちょっとした粗相をわびるが、気位の高い殿様、怒ってたがやを無礼打ちにするといいだしたからたまらない。どうせ殺される身なら、喧嘩上等、たがやは反撃に出て……。

まさしく窮鼠猫を噛む噺なんですが、当時、殿様に逆らう生き方なんて、身分制度を考えたらまったくありえなかったと思うんですよ。
だからこれをきいた庶民は、きっとこの「たがや」にウルトラヒーローを感じたに違いないんです。普段、コンチクショーと思ったって、にこにこしながらも恭しく、へへぇーってこう、こうべを垂れなきゃならない相手なわけでね。そんな相手に対して、たがやが一人、立ち向かっている。
で、最後は、情に厚い民衆の声が下げになってましてね、落語を聴き始めたばかりでしたから、枕の川柳と相まって、私はこの話にスッキリ爽快な感動すら覚えました。
……なんか、私もよほど、鬱屈していたんですかねぇ。

「そのとき」に必要なもの、ってのがあります。
青春時代にはユーミンでしたが、今の私にはそれが落語にとって代わっちまった。テメコノヤロ!と思っても笑ってスルーするのが大人の流儀なら、せめて落語で笑って敵討ちですよ。
恋だ愛だは遠い日の花火のような出来事、今は庶民として日々を地味に生きることに精一杯。だからこそ、逆に、ぱっと咲く花火がこんなにも好きなんですかねぇ。
あ、でも、噺家さんには惚れてるね。
座布団に座ってしゃべるだけの男なのに、まやかしみたいなストーリーを見せられて、笑わされたり泣かされたり、感情を手玉に取られると、魂持って行かれちゃう。
もうちょっと若い頃に落語にはまっていたら、私のご主人様はきっと落語家さんでしたよ。押しかけて寝技に持ち込んで、大きな花火を打ち上げてましたよ。思いっきり、たまや~。
今はそんな行動力はないです。あったとしても、のしつけてお返しされちゃうでしょうしね。
でも、いいの。それが瞬間消えてしまう花火でも、噺を聞いているときに、うまい噺家さんにはドキドキしっぱなし。このときめきは、いくつになってもいいもんです。
ああ、こうしちゃいられねぇや。寄席に行ってまいります。
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by u-ko_suzuki | 2008-08-25 21:46